レタントンローヤル館にお出で頂き有難うございます。今日ご紹介する映画は「倫敦から来た男」(2007)です。
今回は映画そのものの評価ではなく、映画手法についての記述が中心になっています。故に、興味のない方は読み飛ばしてください。
先ずは、監督がタル・ベーラであり彼のキャリアの中で、唯一の商業作品だと思われます。原作がジョルジュ・シムノンのミステリーだからと言って冒頭から始まる11分程に及ぶ長回しに面食らう観客も出て来ると思います。彼の場合、これがスタイルだからこれを嫌うのであれば、彼の作品は鑑賞できないと思います。
映画には、ルールがありこれから外れた映像作品は、私は非商業作品と思っています。
そのルールの一つが物語を伝える、時間軸が映画の中に存在する。そして、それを支援する文法がモンタージュ手法だと思っています。エイゼンシュタインが確立したモンタージュ理論に対する手法の一つと思いますが、映画全編でその手法を用いることはいかがなものかなと私は思います。特にミステリー映画では。
多くの監督が、作品の一部に利用することで効果を上げています。最近では、「007/スペクター」の冒頭のシーン、古典作品ではメルヴィル監督「いぬ」、映画中盤の約10分に及ぶシーン、J・P・ベルモンドは喋りづめだから大変だったと思います。メルビィル自身、キャリアの中で最も優れたシーンだと述懐しているほど素晴らしいシーンになっています。こういう使い方が正しいものと私は考えます。基本はモンタージュだと。
私が若い頃、戦前からの評論家は「フレンチコネクション2」のジーン・ハックマンがシャルニエを追いかけて、マルセイユの街を疾走するシーンをモンタージュの教科書だと言っていました。その通りだと思います。フランケンハイマー監督作品はその通りで、「大列車作戦」「グランプリ」等は本当に教科書だと思います。
更に私見を述べさせてもらえば、「ジョーズ」の一番銛のシーンとか、「イヤー・オブ・ザ・ドラコン」のミッキー・ロークの妻を殺したヒットマンを始末するシーンなども教科書だと思います。今後、映像関係で仕事をされる方はよく勉強すべき作品だと思います。
で、この作品、監督の個性が良く出たものですが、やはり鑑賞していて辛いです。私の不勉強が身に沁みますが、サスペンス映画としては面白くありません。但し、長回しで作り上げたスタイルには独得のテンポがあること、モノクローム撮影、セットの造作も大変興味深いものがあることも事実です。主演者はティルダ・スウィントンを除いて知らない人ばかりで、ほんとタル・ベーラ監督って何を考えているのでしょうか?
でも、話の一つとして、シネ・コニサーを自認したいのであれば、見ておかないと行けない作品の一つと考えるのが妥当と思います。だって7時間を超える「サタンタンゴ」よりこの作品のほうがまだ見やすいと思いますよ。
最後に告白しますが、この作品の前に「ニーチェの馬」を見ようとしましたが、30分で降参しました。それに比べれば、この作品は・・・
このブログを作成するにあたり、DVD版を鑑賞しています。 八点鍾