レタントンローヤル館(八重垣)にお出で頂き有難うございます。今日ご紹介する映画は「時計じかけのオレンジ」(1971)です。
あの「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督のSF社会映画と言って良いでしょう。社会風刺、ブラックコメディと言う味わいもありますが。とても新しいタイプの映画で、というより当時リアルタイムで鑑賞した体験から言えば、尖がり過ぎてた映画で、社会全体から正しい評価を得られていなかったように思います。
最初に鑑賞した友人は、尖がり過ぎていて、エッジが効きすぎていて、あまり楽しい映画ではなかったと告白していました。セルジオ・レオーネの「夕陽のギャングたち」を見ればよかったと漏らしていました。
後日、たまたまアンソニー・バージェスの原作を読んで映画を鑑賞したので、その想像力、表現力に驚愕したものでした。そのまま原作通りに映画化すると、暗くジメジメしたただのチンピラ映画、例えば、フリーシネマ派カレル・ライス、リンゼイ・アンダーソン監督達の社会映画のような作品になったものと思います。
が、スタンリーのこの作品は、独特のロシア語をもとにしたスラング、ナッドサッド言語とプロットだけ頂いて大胆に改編し、自身のイマジネーションでスクリーンを塗りつぶした素晴らしい作品になった。多分、監督仲間から見れば、嫉妬したいほどのその素晴らしい想像力に違いない。
映画の冒頭、幕開けから重く厳粛な「メアリー女王の葬送音楽」と共に登場するコロヴァ・ミルク・バーにたむろするアレックスドルーグギャングの容貌、立ち振る舞い、ばーのインテリアに驚愕した。こんなことが出来るのはスタンリーだけだと。そのスタイルが崩れることなく、ラストまで。
途中、ルドヴィコ療法では、天才女性監督レニー・リフェンシュタール「意志の勝利」のシーン、ドイツ宣伝省からの独ソ戦シーンをインサートしてより効果的に。
そして、映画音楽にシンセサイザーを用いたのもこの映画が最初だと思います。音楽担当はウォルター・カーロス。
今回、BD版を再見して、その想像力故に、後半のコメディ的な要素が若干不発気味なのに気付きました。これは脚本がスタンリーだけだったのが原因だと思います。もし、テリー・サザーンクラスの作家が協力していたら、更にすごい作品になっていたかもしれませんが。
見方を変えれば、あの傑作「2001年宇宙の旅」を超えるイマジネーションに溢れた映画作品だと私には思える時があります。
このブログ作成にBD版を鑑賞しています。 八点鍾