レタントンローヤル館(八重垣)にお出で頂き有難うございます。今日はキネマ旬報社の「黒澤明 天才の苦悩と創造」をご紹介したいと思います。
この本には黒澤明が「トラ!トラ!トラ!」を監督するにあたり描いた絵コンテが掲載されており、黒澤明は画家出身だったので、後に「影武者」「乱」で見せたような力強い絵コンテと最終版脚本が載っていました。それらがこの本を購入した理由です。
無くなったと思った本が出てきたのでもう一度読み直しました。脚本については、昨年このブログで簡単ですが紹介しています。この本には、それとは別にその製作現場で何が起きていたのか結構生々しく記載されていますので、それを掻い摘んでご紹介したいと思います。本当は実際に読んでもらうのが一番ですが。
第一の原因は、ハリウッドと日本側での映画製作の違いだと思います。ハリウッドでは映画はビジネス、一日何フィート撮影したかが重要。製作スタイルが全く違う。
第二は、この作品、黒澤監督の既存の黒澤組を解散して、実在の人物に似た素人を連れて来て映画製作を行ったこと。演技指導が大変だった。後の「影武者」でも新人を起用していますが、映画を見る限りそんなに際立った効果を上げていないように思います。
第三は、東映京都撮影所で行ったこと。ここで"果たし状事件"が出てきます。私、何のことか分かりませんでしたが、読んでいくと、山本五十六が入院した吉田善吾海軍大臣を見舞うシーンで見舞いの手紙の中に果たし状が紛れていて、偶々黒澤監督が見つけて激怒、チーフ助監督大澤豊を呼びつけ部下の助監督を殴れと言われたが、彼は殴らなかった。大澤さんは立派だったと思います。黒澤監督は助監督にはきつかったそうです。
こんなことを言う位、黒澤監督も追いつめられていたように思います。
でも、映画製作に携わっている人に言わせれば、助監督が映画製作の生死を決定するので、この事件で黒澤監督と助監督の離反が始まり、製作が続けられなくなり降板になったとのことです。
付け加えれば、青柳哲郎プロデューサーの動きが良くなかったことだと思いました。いずれも、私個人の意見です。お間違えないように。
本当は、青柳哲郎のインタビューも載せたかったと思いますが、出て貰えなかったようです。本当はインタビューを受けて胸の内を話して欲しかったと思います。
そうだったんだ、黒澤版「トラ!トラ!トラ!」を見るには、しっかりしたプロデューサー、素人ではなく黒澤組スタッフ、役者、当然五十六は三船さんですね、そして東宝撮影所で行っていれば、まあ上手く行ったように思います。
但し、キャスティングで冒険していないと言われそうですが。
残念だったな、「トラ!トラ!トラ!」 八点鍾
追記 この本は2001年にキネマ旬報社から販売され、私はシンガポール駐在中だったのでシンガポール高島屋紀伊國屋書店で購入しました。
製作現場で起こったことは、野上照代が司会して、その場にいた斎藤孝雄(撮影)、村木与四郎(美術)、渡会伸(録音)、松江陽一(監督補佐)が座談会形式でまとめたもの。黒澤監督の監督補を務めた野上さんの進行の上手さが際立つ。
又、チーフ助監督大澤豊のインタビューも収録されている。こういう事件があったから「影武者」「乱」「夢」は上手く行ったものと思います。
「ゲッティ家の身代金」のメイキングを見ていると、リドリーが私は1日に30テイクぐらいは取り上げると言っている。サバイバルしている監督はそれなりのことをやっている訳だ。
撮影がブアーで申し訳ありません
空母赤城のセットでの黒澤監督