レタントンローヤル館(八重垣)にお出で頂き有難うございます。今日ご紹介する映画は「セデック・バレ 第二部虹の橋」(2013)です。
勇猛なセデック族は霧社を制圧すると、山の中に消えて討伐部隊を待った。意外にも霧社での殺戮は、逃げた生存者からの通報で直ぐに警察、陸軍部隊に知れ渡り、2日後には霧社を奪回した。
暫くすると台湾守備隊鎌田支隊が駆け付けた。当初は、山岳ゲリラ戦に戸惑った支隊であったが、航空機からの爆撃、火砲による攻撃で少しずつセデック族を圧倒し始めた。
特に、迫撃砲による攻撃が効果を上げた。が、それでもなかなか制圧できなく、仕方なくびらん性ガス兵器を使用する。迫撃砲弾も榴弾、催眠ガス弾を使用し始めた。
又、蜂起したセデック族と敵対する部族(味方蕃と呼ばれた)に報奨金を与えて、セデック狩りを行った。
セデック族の女達は、食料不足を見越して集団自決、セデック族出身の巡査2名は家族もろとも自殺をした。事態が長引くほど、山に立てこもったセデック族は不利になった。山には食料がなく、日本軍の攻撃は容赦なかった。
頭目ルダオはここ迄と思い、仲間に自決するなり、投降するなり各自で判断せよと言って山奥に入って行った。頭目ルダオの長男が12月初めに自決し、事件はようやく終息に…
第二部も第一部に劣らずとても良く出来ています。戦闘シーンも多く、日本軍の考証良く、但し弱く描き過ぎです。映画みたいでしたら、あっという間にセデック族にやられてしまうでしょう。子供と言ってもいいセデック族の少年が、口に予備弾倉を咥えて陸軍の軽機を乱射するシーンなど本当なのかなと思いますが。Wikiで調べても陸軍の戦死者は22名ですから。まあ、映画ですからどうでもいいことですが。
この鎌田司令官ですが、映画で描かれているような人物だと典型的な日本陸軍将校で、私が言うのも失礼な話ですが、突撃攻撃精神のみを拠り所する融通の利かない無能な司令官だと思います。これでは部下が可哀想です。
台湾政府の高圧的な統治だけを問題にするのなら、ここ迄戦かう必要はないと思いますし、もっと良いのは彼らの大義を伝達する人物を残しておく必要があるのでは?
この蜂起、思想性がないのが興味深いと思います。例えば、三・一事件、間島暴動事件、外国の例で言えば1916年、アイルランドのイースター蜂起事件(映画「マイケル・コリンズ」の冒頭シーン)は、何れも思想性が強いものですが、対して、この事件はそれが無いに等しいのです。実際、この蜂起に置いて中心的な役割を果たした人物は、すべて亡くなっています。セデック族にとってこういうやり方もよろしくないのではと思います。誰かに何をこうして欲しいという要求等を残して欲しいと思います。
この蜂起は、大日本帝国が統治した占領地、植民地の生起した蜂起(セデック族・日本軍その他を含め死者約1000人)では、一番大きいものではないかと思います。それに引き換えその原因なるものがはっきりしていない。映画では、結婚式の酒宴の席で頭目の長男を巡査が投打したことにしていますが、この投打事件が決め手になっている訳ではありません。
ただ、言えることは彼らの文化に対して理解を示していた社では、蜂起は起きなかったことです。裏返して言えば、巡査の人間性のばらつきが事件を生起させたのかもしれません。そうであれば、大変な残念なことだと思います。
このグローバル世界の中、今後日本人だけで何でもやってしまうことは出来ない時代、他の国の人の力を借りたりすることになると思います。その時、この失敗を思い出して、正しい対応するべきだと思います。
台湾でもあまり知られてないように思いますし、残念ですが、日本では、一部の研究家以外誰も知らない事件ではないかと思います。
作品を鑑賞しながら、上記のことを考えていました。
このブログ作成にBD版を鑑賞しています。又、霧社事件Wiki、BD版についていたライナーノーツを参照しています。 八点鍾