「チェ 39歳 別れの手紙」チェ、二度目の戦い・・・

レタントンローヤル館(八重垣)にお出で頂き有難うございます。今日ご紹介する映画は「チェ 39歳別れの手紙」(2008)です。

 

1965年 キューバ共産党中央委員会にチェの姿は無く、フィデルがチェの「別れの手紙」を読むところから、映画は始まる。映画は、前作同様大変良く出来ており、対ゲリラ戦の映像資料のような感じである。

前作は、モノクロシーンと巧みにカットバックさせた技巧的な映画に対して、この作品は、ドキュメンタリータッチで淡々とチェの姿を追う。ジンネマン監督「ジャッカルの日」と同じスタイルだ。監督は前作同様、スティーブン・ソダバーグ。

 

1966年、米州機構(OAS)職員アドルフォ・メナ・ゴンザレスという偽名でボリビアに入国する。そしてニャンカウアスの農場に250名集まる予定であったが、実際は50名程しか集まらなかった。マリオ・ホンヘ率いるボリビア共産党の立ち位置は、ボリビア内で武力闘争は止めてくれと。

対するボリビア軍は、バティスタ政府軍のようなふやけた軍ではなく、元ナチス親衛隊中尉クラウス・バルビーを顧問としたボリビア政府軍が、冷戦下において反共軍事政権を支持していたCIAとアメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレー)の軍事顧問団から武器の供与と兵士の訓練を受けた対ゲリラ戦に特化したレンジャー部隊が待ち構えていた。

 

過酷な行軍で、同志は一人また一人消えていき、アンデス山脈のユーロ渓谷の戦闘でレンジャー部隊に逮捕され、部隊は最高司令部より処刑指令600を受け、1967年11月、チェは処刑される。

映画はメキシコを出港した「グランマ号」のチェのショットで終わる。

 

このボリビア闘争が上手くいかなかった要因として、チェが外国人であること、ボリビア共産党のみならず、武装闘争をボリビア人民が嫌ったこと。これでは、人民の海に紛れて逃げることが難しくなっていた。

加えて、待ち受けていたボリビア政府軍が、対ゲリラ戦に特化した特殊部隊を用意していたことが致命的だった。

 

キューバでは思いのほか上手くいったので、南米のほかの諸国での革命の輸出を考えて、ボリビアを拠点とした。この国と国境を接するアルゼンチン、パラグアイ、ブラジル、ペルー、チリに活動を広げるためで、米国側はその動きを読んで色々と準備をしていたものと考えられる。

同じようなやり方が、再び、通用するような甘い世界ではないということを察することが出来る。

 

ブログ作成にBD版を鑑賞しています。        八点鍾

 

f:id:wedplain:20200610143612j:plain

IMDb

f:id:wedplain:20200610143700j:plain

f:id:wedplain:20200610143751j:plain

f:id:wedplain:20200610143831j:plain

f:id:wedplain:20200610143929j:plain

f:id:wedplain:20200610144002j:plain

f:id:wedplain:20200610151631j:plain

f:id:wedplain:20200610151914j:plain

f:id:wedplain:20200611052527j:plain


f:id:wedplain:20200610144049j:plain